こんにちは、社長の部下のマロニーです。
11月2日放送のNHK「逆転人生」に
赤字経営で危機に瀕していた
三重県の志摩市民病院を、
34歳の若さで院長になり、
見事経営を立て直した
江角悠太さんが出演されます。
江角悠太さんが院長になった
当時の志摩市民病院は、毎年7億円の
赤字を垂れ流す、典型的な“お荷物病院”
だったそうで、地域住民にも見放され、
江角悠太さん以外の医師・看護師が
一斉退職するという大ピンチ状態
だったとのこと…
江角悠太さんは
「どんな患者も絶対に断らない」方針と、
常勤医師と非常勤医師をなんとか確保
することで、毎年1億円、赤字を削減していき
わずか4年で経営を立て直したそうです!
凄い経営手腕ですよね!
江角悠太さんの経歴や出身校、
ご結婚はされているのか等を
調べてみました。
コンテンツ
江角悠太さんの経歴
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江角悠太さんは、父親がガン専門の医師、
母親は研究者という共働き家庭に
生まれ、不在がちの両親に代わって
7歳年下の弟の世話を見る…という、
生活に不満を持つ少年だったそうです。
リーダーシップはあるけど、自分勝手な
ジャイアンタイプの少年だったそうで、
ケンカをしたり、高校に入って
運転免許を取ると、警察とカーチェイスを
起こすなど、問題を起こしがちな
荒れた少年時代を過ごしたそうです。
修学旅行では、旅館の絵画を麻雀台に
使って、無期停学になったことも
あったとか!
高校時代の江角悠太さん!……あ、荒れている!^_^;;;
https://chiiki-hp.jp/report/1128/
そんな江角悠太さんに、両親や祖父母は
「お前の人生はお前のためのものではない。
人のために使いなさい」と、ずっと
諭されていたそうです。
この言葉の意味が腑に落ち、医者の道を
志したのは、高校2年生の春休みに偶然見た
映画「パッチ・アダムス」がきっかけ
だったそうです。
映画では、主人公のパッチ・アダムスは
無料で医療を受けられる病院を設立し、
笑いと愛情で患者を幸せにした、
実在の医師をモデルにした作品です。
これを見た時に、江角悠太さんは
両親や祖父母が言っていたことの意味を
初めて理解し、映画に描かれていた
パッチ・アダムスに憧れ、
医師を目指すことになったそうです。
「医師」を目指す…というより、
「パッチ・アダムス」になりたいという
思いのほうが強かったようです^_^
江角悠太さんの高校・大学はどこ?
江角悠太さんの出身校は、
都内屈指の進学校・東京都立西高等学校で
偏差値は73!!
東大や早慶上智へ進学する人も多い
高校だったそうですが、
いかんせんヤンチャばかりして
退学寸前だった江角悠太さんは、
授業をろくに受けておらず、
成績は最底辺だったそう……
高2で医師を志したものの、劣等生だった
江角悠太さんに、医学部進学など
叶うはずがなく、高校の先生に
頼み込んで、中学3年生のレベルから
勉強をやり直し、2浪の末に
三重大学医学部に合格したそうです。
ちなみに、7歳年下の江角亮さん↓も
三重大学医学部を卒業し、
三重大学附属病院救命救急センターで
助教を務めていらっしゃるそうです。
お兄さんそっくりですね^O^
江角悠太さんは結婚して嫁はいる?
江角悠太さんは、以前ご結婚されて
奥様がいたそうですが、
病院の仕事があまりにも忙しく
ほとんど帰宅できなかったという理由で
奥様とは離婚されたそうです💦
若くして院長になり、病院の立て直しにと
仕事一筋であったのでありましょう。
でも、奥様はとても寂しかったのかも
しれないですね…(´・_・`)
江角悠太さんの経歴などについて
調べてみました^_^
潰れる寸前だった志摩市民病院は、
母校の三重大学医学部の研修医や
地元の中高生も巻き込み、
江角悠太さんの父である江角浩安医師や、
日本語・中国語・英語を話し、
日本・アメリカ・カナダ・中国の
医師免許を持つアメリカ人医師の
クー・エン・ロック医師らの力で
見事に再生しました。
「逆転人生」では、江角悠太さんが
どんな逆転劇を語られるのか、
楽しみですね!
最後までお読みくださり
ありがとうございました。