中村哲医師がアフガン東部で銃撃され死亡

紛争地域の人々に貢献し続けた日本人の訃報

海外の紛争地域で医師、技術者、教育者として貢献する日本人は、多くの人々には知られてはいないものの、大勢いらっしゃると思いますが、医療支援や灌漑事業の指導で長年活動された日本人の訃報が飛び込んできました。

最初に、心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

中村哲医師が死亡 アフガン東部で銃撃
https://www.sankei.com/world/news/191204/wor1912040021-n1.html

アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで4日、現地で医療支援などの活動を続ける日本人医師、中村哲さん(73)らが乗った車が武装勢力に襲撃された。ロイター通信などによると、中村さんは右胸に銃弾を受け、撃たれた直後は意識があったが、運ばれた病院で死亡した。

地元警察によると、同乗していたボディーガードと運転手らアフガン人5人も死亡した。銃撃現場には中村医師以外に日本人はいなかった。犯行声明は出ていないが、イスラム原理主義勢力タリバンは関与を否定している。

中村さんはアフガン支援を行う非政府組織「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表で、長年にわたる医療支援や灌漑(かんがい)事業の指導などで、2018年にはアフガン政府から勲章を授与された。今年10月には名誉市民権も授与された。

(産経ニュース/2019.12.4 16:48)



元陸上自衛隊・2004年の自衛隊イラク派遣で第一次復興業務支援隊長を務めた、『ヒゲの隊長』の愛称でおなじみ(?)の、参議院議員佐藤正久氏も追悼のツイートをなさっています。

https://twitter.com/SatoMasahisa/status/1202147551887028224


中村哲医師はどのような人物だったのか

中東のニュースには疎いわたくし、この訃報のニュースで初めて「中村哲」氏の名を知りました。私のような方も多いのではないでしょうか。
中村哲医師はどのような方だったのかを調べてみました。

今年10月、アフガニスタン政府から名誉市民権を授与された中村氏
  • 1946年 福岡県出身(享年73歳)
  • 九州大学医学部卒業
  • 国内病院勤務ののち、1984年、パキスタン北部辺境州の州都ペシャワールに赴任
  • パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動するも、パキスタン国内での政府の圧力により活動継続が困難になり、以後はアフガニスタンに拠点を移して活動を続ける


また、2003年には“アジアのノーベル賞”とも呼ばれるマグサイサイ賞(←アジア地域で社会貢献などに傑出した功績を果たした個人や団体に対して贈られる)を受賞する等、数々の受賞・勲章を受けておられます。

趣味は登山と昆虫採集

偉業を成した方が、「趣味が昆虫採集」となると、一気に親近感が湧いてしまうものです^^;

登山の趣味は本格的だったようで、1978年にはパキスタンにある標高7,708m(ヒンドゥークシュ山脈の最高峰)のティリチミール登山隊に、帯同医師としても参加されたそうです。

ティリチミール

ティリチミールは地元の伝説ですと、山の上に住む精霊・悪魔・魔女・妖精のために、登ることができない山とされているそうです。

また、クレバスが多く滑落して犠牲になる登山者が絶えず、エベレストよりもずっと登頂が難しく危険な山とも言われているそうです。

そんな危険な山に帯同医師として参加されたとは、登山の技術や経験も相当であったかと思われます。

クリスチャンでありながら、イスラムの紛争地域へ

中村哲医師はキリスト教バプテスト派のクリスチャンだったそうですが、

現地の人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら

活動を続けていたそうです。

これは私の想像に過ぎませんが、中村医師の尽力で救われた多くの現地イスラム教徒は、中村氏がクリスチャンであることを知っていたことでしょう。現地での活動が長ければ長い程、尚更なことです。

「イスラム教徒=野蛮」、先入観は大間違い!

ここからは私の個人的な経験になりますが、紛争地域ではない、平和なイスラム教国のウズベキスタンを旅行したことがあります。タシケント、サマルカンド、ブハラ…と巡る、シルクロードの旅です。

ウズベキスタンは旧ソ連邦の国でしたから(私はロシア語が話せます)、言葉に困ることはありませんでした。

行く先々で、見るからに観光客=カモ…に見えたでしょう私は、最初はぶっきらぼうな扱いをされることもありましたが、言葉が通じひとたび仲良くなれば、あっちからもこっちからもお茶に誘われる、現地人でなければ入り込めないような場所へもどんどん案内してくれる、私の親族で病気の者がいるという話をしたならば「あなたの大切なその人のために、私は1日5回メッカに向かって祈る」と約束してくれました。
このエピソード以外でも、約束事は本当にきちんと守ってくれる人達です。

東日本大震災の時には、わざわざ国際電話までかけてきてくれて、「もし日本が危ないなら、こちらに来て!」と心配してくれた程です。

実際に礼拝中のモスクへも連れて行ってもらいましたが、人々は私にジロジロと異教徒だと冷たい視線を送ることもなく、モスクの敷地内に植えられている木の実を取って分けてくれたり…思い出せば数え切れませんが、一度も嫌な経験をすることはなく、

「イスラムの人々はなんて穏やかで優しいんだろう!」

……と、目からウロコ・感激してしまった程です。

日本ではマスコミ中心に、イスラム原理主義過激派のタリバンやISのニュースばかりが報道されていますが、実際のイスラムの大多数の人々は、「異教徒だから」とバカの一つ覚えのように他宗教を排斥することはありません。一部のおかしな連中が、常軌を逸した行為に出るのです。

今回の事件で、日本国内でのイスラム教徒に対する偏見が強まってしまうのではないかと、個人的に心配しています。

灌漑事業への貢献

中村氏の話へ戻ります。

中村氏は九州大医学部卒業後、国内病院勤務ののちに紛争地域へ赴いています。
ニュースを見た時に「灌漑事業への貢献」というのが、医者の仕事とは違う、なぜ?と思いました。

中村氏は2010年、「水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できる」と、日本の用水路事業を手本に、当時は砂漠だった場所まで、総延長25kmを超える用水路の建設を指導し、約10万人の農民が暮らしていける基盤を作ったそうです。

また、2016年からは、「現地人が自分で用水路を作れるように」、学校の準備も始めていたそうです。

「真の貢献」をした中村哲医師

“Give a man a fish, and he’ll eat for a day.
Teach a man to fish, and he’ll eat forever”

(魚を一匹与えたとしても、その人は1日で魚を食べてしまうだろう。
魚の獲り方を教えれば、彼はずっと食べていけるだろう)


…この一文は、以前英会話を勉強しようと思って^^; 音読をひたすらやっていた時に使ったテキストの中の一文です。中学の教科書から選りすぐった文章をひたすら音読する…という趣旨のものでしたし、暗記していたので、中村氏の灌漑事業への動機を知った時に、すぐにこの言葉を思い出しました。


亡くなられた中村氏は、まさにこの精神を以て、ならず者がはびこる地域で困窮する、善良な人々のために尽力したのではないでしょうか。

https://twitter.com/AfghanistanInJP/status/1202181913084973056



過激派

…と呼ばれるハタ迷惑な連中はどこにでもいるものです。自分勝手な正義を旗印にして、善良な一般市民がどれだけ苦しめられているかも察することなく。

多くの善良にして優しい現地の人々は、中村医師の死を悲しむことでしょう。長年に渡り彼が尽力してきたことに、日本人は誇りを持ち、イスラムに対する憎しみや偏見ではなく、中村医師への心からの哀悼の気持ちを持つべきではないかと、個人的に思います。

総延長25kmの用水路を以て、かつての砂漠を緑地に変えた中村医師

“This present is more wonderful than money.
This well will be here for us for a long time!”

(この贈り物はお金よりも価値がある。この井戸は、私達とずっとあり続けるのだから!)
※先程の英語音読のテキストにて、日本人ボランティアがフィリピンで
日本の昔ながらの掘り方を使い、現地の人々と諦めずに井戸を掘り続け、
50m近く掘って遂に水が湧き出した時の、現地の人々の言葉