5こんにちは、社長の部下のマロニーです。
9月21日放送のNHK「逆転人生」に
日本初の全盲の弁護士・竹下義樹さんが
出演されます。
竹下義樹さんが「逆転人生」に
出演されるのは、今回が2回目の
ようですね!
全盲というハンデがありながら、
超難関の国家資格・司法試験に
合格し、“武闘派”の異名を持つ
竹下義樹弁護士。
経歴を調べてみると、
凄すぎるチャレンジの数々に、
驚くばかりです!
不屈の全盲弁護士・竹下義樹さんに
ついて、経歴やエピソードを
まとめてみました。
竹下義樹さんの経歴
竹下義樹さん
(http://www.tsukushilo.com/)
|
竹下義樹さんは、先天的な
失明ではなく、1965年・中学3年の
時に、所属していた相撲部の
稽古中に眼に違和感を覚え、
外傷性網膜剥離のため失明されました。
その後、
1969年に、石川県立盲学校
あんま・マッサージ・指圧士修得課程を卒業。
1971年に京都府立盲学校高等部普通科専攻科卒業後
20歳で龍谷大学法学部入学。
そして、多くのボランティアの支えで、
2年に渡り法務省に働きかけ
点字での司法試験を実現させ
200もの点訳の参考書を作り、
9回の受験の末に、1981年・30歳で
見事超難関の司法試験に
合格されました。
当時海外では、全盲の弁護士は
少なからずいたものの、
日本で点字受験の司法試験合格者は
竹下義樹さんが初めてで、
記者が自宅に押しかけ、
記者会見も開かれる大騒ぎに
なったそうです!
竹下義樹さんの点字受験での
司法試験合格は大きな突破口になり、
その後、全盲の後輩弁護士が
3人誕生したそうです。
(↑2014年の情報ですので、
今はもっと増えているかも
知れません^_^)
竹下義樹さんの名言!
身体的なハンデがなくても、
司法試験に合格し弁護士に
なるのは、並大抵の努力では
ないと思います。
難関をくぐり抜けてきた
不屈の弁護士・竹下義樹さんの
名言をご紹介します。
「難しいなら、努力すればいい。ないのなら、つくればいいだけの話」
竹下義樹さんが弁護士を
目指したきっかけは、
失明して間もない
高校3年生の時で、
小説やテレビに登場する
弁護士の姿に憧れたこと
だったそうです。
しかし、その当時は
点訳の六法全書も専門書も
存在していませんでした。
弁護士になるために勉強する
教材自体がなかったのです。
そんな中でも、竹下義樹さんは
少しもひるむことなく、
「難しいなら、努力すればいい。
ないのなら、つくればいいだけの話」
として、ボランティアの手を借りて、
点訳の参考書を作り、諦める
ことなく、難関試験に
挑み続けました。
「難しくてできない…」
「◯◯がないからできない…」
とは、私などもついつい、
口走ってしまう「言い訳」ですが
竹下義樹さんの辞書には
「できない」という言葉は
なさそうです!
何かにチャレンジしていて
くじけそうな人には
励みになる名言だと思います^_^
「夢は人を変える」
全盲である竹下義樹さんが
司法試験に挑戦することも
弁護士として活動することも
容易なことではありませんでした。
しかし、竹下義樹さんは
「夢はその困難を乗り越えさせてくれ、
仲間は私を支えてくれる」
とおっしゃっています。
弁護士になるという夢が、
全盲のハンデを乗り越え、
ボランティアや家族の支えが
竹下義樹さんを更に
強い人に変えたのかもしれません!
この言葉も、何かを夢見て、
目指している人にとっては、
とても説得力のある言葉ですね!
竹下義樹さんのチャレンジが凄すぎる!
竹下義樹さんが全盲の
ハンデを乗り越えて
弁護士になったということ
自体がものすごいチャレンジ
ですが、竹下義樹さんは
「チャレンジすることが
気持ちの張りになる」と語り、
趣味は登山、マラソン、読書など、
ヒマラヤ山脈にも2回チャレンジ
しているそうです( Д ) ⦿ ⦿ !!!
インドア人間の私なぞ、登山も
マラソンも、ましてやヒマラヤ山脈など
思いつくことすらありません!
竹下義樹さんのチャレンジ精神と
バイタリティ、恐るべし!です。
生まれつきではなく、
年若い頃に失明したことだけでも
絶望的になってしまいそうですが、
竹下義樹さんは
「見えないということに、
自分自身が違和感を覚えていない」
…と語っていらっしゃいます、凄すぎる……
2度目の「逆転人生」出演で、
竹下義樹さんのどんなお話が
聞けるのか、楽しみです!^O^
最後までお読みくださり
ありがとうございました。